現地説明会 [考古学]
祝日の1日。岡崎市の坂戸遺跡の現地説明会へ。
弥生前期のものから中世のものまで、実にいろんな時期のものがあります。弥生中期と古墳中期の竪穴とおぼしき遺構は確認されています。
弥生中期瓜郷の甕。竪穴から出ています。
中世の木組みを持つ井戸です。
遺構のある調査地点の北側は結構安定したシルト層を基盤にしており、南には流路があるという感じです。
とにかく、まだまだ調査は続きそうで大変そうです。
その後で訪ねた二子古墳のすぐ東側の二タ子遺跡。トレンチでの確認調査ですが、かつての流路が台地際で複雑に流れていた様子が確認されています。かつての流路の砂からは縄文土器や弥生前期頃の土器が入っているとのこと。そして、そうした川の氾濫から古墳を守ろうとするように掘られている古代の溝。古代の人には二子古墳がさぞ大事なものとして位置付けされていたのでしょうか。残念ながら二子古墳築造がらみのものは明確にはできなかったようですが、その断面を見るにつけ、矢作川の流れの凄まじさを感じてしまいます。こちらも土曜日には現説とのことです。
近年、桜井近辺の沖積地上の調査が進み、複雑に流れる流路、微高地上に広がる集落。この辺りのいにしえの景観をじっくり考えてみたいものです。
タタキ甕 [考古学]
今、豊田市の郷土資料館で開催中の篭川流域の遺跡群の展示。先日展示の方は見学させていただいたのですが、今日、職場に図録が届いていたのでつらつらと眺めてみました。4月1日まで開催しているようです。
これは、豊田市内在住の在野の考古学者の方がかつて猿投遺跡調査会として、埋文行政脆弱期に調査された多くの遺跡の資料が寄贈されたことを記念して行われた展示です。
縄文から古代(中世初頭くらいもあるのかな)までの資料が展示してあるのですが、
水汲遺跡の縄文土器もかっこいいのですが、
私注目は、伊保遺跡のタタキ甕です。ほかの共伴遺物などから古墳時代初頭(いわゆる廻間2式かなあ、共伴するS字みるともう少し新しいような気がするけどほかのものはこれだしなあ)のものということはいわれていたわけですが、なんといっても、在地のいわゆるくの字台付甕がほとんどみられず、このタタキ甕で構成されていることです。ほかの器種は在地のもので構成されているのに甕だけ特異なのです。当時からこれについては畿内との関係がいわれてきていましたし、かねてより、当該期の研究者からは注目度抜群の資料だったのですが、いろいろ訳あって門外不出でした。それがついに、、、。
ちなみにこれはチラシの写真です。
形のいいものだけで、このほかにもいっぱいあります。そのほかに小型の甑や壺にもタタキ調整のものがありますよ。
この地域はなぜかこのタタキ甕の多く出る地域でして、その他にも安城の本神遺跡などでも多数のタタキ甕がみられます。時期は本神遺跡の方が若干古いのですが(いわゆる廻間1式)そして、それが例えば畿内の中でもどこからやってきてそして、それらが東日本のたとえば柏の戸張一番割遺跡などで出土するタタキ甕などのその波及ルートを考えたりする上でも注目されてきたのですが、伊保遺跡のものは図だけが先歩きしていた状態でした。(報告書が刊行されているということだけでも今思うとよかったと思います)。
今後、実資料をもとにさらに研究が深化していけるようにできないかな、と思っています。夏頃には検討会も予定しています。
強風で何でも舞い [考古学]
久しぶりに、現場へ。
3日間の試掘なのですが
トレンチを3本も開けてしまったが成果はなし。そして砂層をぶち抜くとすぐに湧水。壁が崩落
砂層の砂の質は矢作川流域特有の粒子の粗いものだそうで、矢作川の沖積作用のすごさを物語るのだそうです(教えてもらった)
今日はほんとに強い風で、プラスチックの竹箕が飛んで道路方向へ、私の車のタイヤに激突し、止まる。ホッ。
暖かすぎる週末 [考古学]
日曜日。本当に暖かかった。3月なのに、車にクーラー入れたくなってしまうくらい。
早起きして、大阪の近つ飛鳥博物館へ。出土木器が語る考古学 の展示をみて、シンポジウムに参加。
暖かくって、ドライブにはいい気分なのですが、諸事情により窓は開けられず。
シンポジウムは、農耕具、威信材、加工技術の3本。まあまあ、おもしろかったのですが、ちょっと出来レース的かな。これも時間がないことだし、時間内で話をまとめようとするとそうなるのかな。でも、四方ころびの箱ののぞき眼鏡説はよかったなあ。そして、実測図での表現(加工痕をどのくらい表現するか)や実測図に頼らない方法を模索していく必要性(手っ取り早いところでは実験があるようです)など。これについてはほかの材質のものとも共通しているように思えます。
近年、木器も出土例が飛躍的に増加して、本当にいろいろなことを語ることが出来るようになったなあ、というのを実感しました。以前少し報告書絡みで調べた頃に比べてちょっと遠ざかっていると隔世の感な部分もあったりして・・・。常にアンテナははっておきたいと思いました。
お昼には周囲の梅林で昼食。あれさえなければいい季節。
真福寺 [考古学]
この真福寺。今は竹膳料理で有名で、私も以前食べにいったことがありますが、そのときは上まで車でゴー。
今日は、山門から、まずは参道をあがっていきました。
この寺は物部氏建立という伝承があり、白鳳期の塑頭仏頭が伝わっており、7世紀代には確実に創建されていたようです。
そして、東の谷を挟んだ尾根が、かつて調査が行われたという真福寺東谷遺跡。私はずっと名前にだまされ、谷間にあると思っていましたが、調査地点は尾根の頂上。微かに方形区画溝の跡らしいものも残っていました。
そして石塔群。見つかった石塔群を集めてあるようなのですが、中世墓地の風景を連想させるようなたたずまいでした。
ちなみにこの後ろに写っているのは豊橋のGくんです。今回の探訪は彼が音頭をとっている会です。
そのあと、岡崎の美博で拝見した真福寺の裏山から採集されたという土師器類、山茶碗類。13世紀前葉を主体としているような土師器皿類。おそらく遺構を破壊したものでしょう。山茶碗類も尾張型の4から6型式ころのものがあり、いい一括資料を見せていただきました。ごちそうさま。
滝山寺 [考古学]
先だっての土曜日。岡崎市内の山岳寺院を巡りました。前の記事にあった、Aさんの案内です。
今日は、滝山寺について。
川沿いにまずは山門。
そして、西隣の尾根、今の滝山寺のある尾根、滝山寺の「滝」と、おおよそこのような感じで回りました。
なんといっても一番の驚きは「滝」。てっきり山の裏側とかにあるのかな、と思っていたら、あにはからんや、道のあるこの川なのですよ、滝があるのが、現在の寺のある地点から少し上流に行った地点でした。
上から落ちる滝といった感じではないのですが、かなりの流れもあるし、滝壺風のところもあるようだし、縁起にあるという薬師如来をここで拾い上げたのかなあ。そして、保延年間に仏泉上人永救の来住により復興し天台宗の1地方中核寺院として発展していったとのことです。などと、思いを巡らせて。この寺の現住所の字名が山籠。意味深な地名ですね。
この日は、夜は文化財であり有名な「鬼祭り」の日。境内では準備が着々とすすんでいました。
山岳寺院 [考古学]
今日は月1度の勉強会。ということで、岡崎の美博のAさんによる
古代寺院、中世寺院を考えていくための予見 ということでお話。
考古学を少しかじっているとはいえ、今ひとつ古代寺院には興味がなかったのですが、
日本霊異記から導入されていった話術にひきこまれてしまいました。
そのなかで、注目したのは寺院間のネットワークの話。どうしても定型化された伽藍配置をもつ寺院跡ばかりを注目してきたのですが、その枠組み外のものだってあるし、いくつかの寺院とが関係しあったもの、その後の状況(中世以降)など、奥深いものを感じたのですが、
いかんせん、私自身に奥がない・・・。十分咀嚼できない・・・。
人面文土器 [考古学]
土曜日にいった現説で拝見した人面文土器の破片。
安城市域では、有名な亀塚遺跡のものをはじめ、何点かあります。
小さな破片ですがいろいろ語ってくれそうですよね。
時期は古墳時代初頭といったところかな。旧河道から出たとのこと。